text by hatanaka 礼拝堂の聖壇の家具は、聖壇のデザインと同じように一体で考えました。十字架のタペストリーを邪魔しないシンプルなデザインでありながら、重厚感がありつつ優しいデザインとしました。説教台には、白の美しい人工大理石と優しい無垢の木材を使用し、聖壇の椅子もシンプルな板状の構成でありながら、厚手のウレタンのクッションを座と背に施しました。
こうしたいろいろな異素材を使う家具製作にも意欲的に快く製作してもらえる大橋朋晃さんのOGUMAでした。 建築のスケールでの製作とは違い、一つ一つ手作りでされることからのものに与えられるぬくもりのようなものがあります。 聖壇の家具以外にも、牧師室のデスクやロビー空間のオリジナル家具もイシダ・ハタナカスタジオでデザインし、OGUMAで製作してもらいました。 空間にあったオリジナルの一品ものを造り、永く使える家具を持つのは、素敵なことだと思います。 家具製作:OGUMA :http://www.oguma-co.jp/
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text by hatanaka 礼拝堂会堂椅子については、礼拝堂のかたちから長椅子のベンチではなく、個別の椅子がよいことは決まっていました。また、特に今回の改修については、会堂椅子は改修デザインの大きな一部であり、既製の椅子の中から選ぶこともできたが、限られた予算の中で思ったようなデザインがなくどうしようかと思案していました。 そんな中、友人の家具デザイナー伊藤千織*1さんに相談すると、150脚という数があれば、予算内でオリジナルのデザインでできるのではないかという心強い言葉を得られました。そして、教会の方々も賛成してくださり、オリジナルのデザインをすることにしました。千織さんには、無垢の木を使いたいこと、スタッキングできるようにしたいことなどを伝え、それに対して様々なスタッキングのスケッチをいただいたりしながら、また、椅子自身のデザインとしては、ゆったりとしたいことなどを伝えながら、お互いにスケッチをやり取りしながら、また、模型を作り確認しながらデザインを進めていきました。 椅子は、千織さんのご紹介で著名な椅子などのOEMもされている山形の大きな工場で製作していただきました。
最終製作に入る前に、試作品を確認するため千織さんは北海道から、私は大阪から山形へ入り、工場見学もしながら試作品を確認した。まだ雪が残る整然とした工場の中で、コンピューターで3Dの削り出しができるようになったとはいえ、まだまだ人の手を施して一つ一つ丁寧に仕上げておられる様子は、家具に命を吹き込んでいるように思えます。今回、会堂椅子ということで、整然と並べることができるように、バラバラにならないようにするために椅子同士を固定する金物も特別にデザインしました。パイプ椅子なら簡単な機構でつなぎ合わせられますが、特別にデザインした木製の椅子をつなぐ既製の金物はありません。木製で作ることも考えましたが、椅子としてのデザインとして椅子のかたちが複雑になり美しくないのではと悩みました。そこで、金物を研究し、デザインして図面を描いて、最終的に東大阪の工場で金物を製作し、山形で取り付けをしていただくことになりました。 家具が出来上り、山形から京都へ大型トラックが会衆椅子を運んできた時、教会の方々にお手伝いいただきながら礼拝堂に運び設置したときの喜びはひとしおでした。 ひとつの小さな椅子でありながら、いろいろな人の手を通って届けられました。これから先も、教会で様々な人々の寄り添いながら教会の空間のひとつであり続けることだろうと思います。 (*1:伊藤千織さんは、北海道在住で海外からも評価が高い素敵なデザイナーの方で、主に家具をデザインされ, 他にもいろいろなデザインに優れておられる方で、デンマークに留学していたという縁のある友人) 伊藤千織:http://chioriito.com/index.html text by hatanaka シオンの丘キリスト教会の礼拝堂の改修の際には、聖壇の中心となる十字架をどうするかというのは、礼拝堂の形が決まると同じくしてタペストリーのようなテキスタイルだということは思っていましたが、建築家の私たちでさえも最終的なデザインまでは、想像をしていませんでした。 知り合いのアーティストの方に聞いてみたり、織の工芸をやっている方など教えていただいたりした中で、須藤玲子さんがされている布NUNOはどうかという案になりました。以前からNUNOについては、東京の店舗でも見せていただいたり、ヨーロッパでも個展をされたりしていて、また建築家とコラボレーションでいろいろな取り組みをされていることも知っていました。しかし、予算も少ない中で、やってもらえるのだろうかという不安もありつつ、電話で問い合わせてみると、担当の阿部さん(現在は堤さん)が快く大丈夫ですよ~と回答していただけ、ほっとしたことを覚えています。 建築改修のコンセプトとして、私たちが伝えたのは、多くの人が輪のように集まるようなかたちであること、L字に建てた壁と天井からの垂れ壁の間にある光のスリットといったようなものでした。それに対してNUNOの提案は、小さな布が人のように集まり十字架を布の透過性によって浮き上がらせるといったものでした。何種類かのパターンの中から、最終的に現在のパターンを選択し、タペストリーとしての機能的な問題などを解決しながら、NUNOの持っている技法とアイデアとチームワークが、私たちが造りたいと思った空間の中心を生み出してくれたことに、コラボレーションのチームとして、とても楽しい経験をさせていただきました。 布NUNO:https://www.nuno.com/ text by Ishida コンペ このプロジェクトは、同志社大学が京田辺キャンパスに礼拝堂を建設するに当たって実施したコンペ(設計競技)でした。結果は惨敗。でも、つくづく良い案だったと今でも思います。特に、コンセプトのアイデアが非常に良かったと思うので、今でも残念で仕方がありません。いつかこのアイデアを実現する機会は無いものだろうかと今でも思っています。 青空チャペル 京田辺キャンパスには、青空チャペルと呼ばれる屋外の礼拝スペースがあります。鬱蒼と茂った木々が神聖な空間を作り、その下に気持ちのいい礼拝空間があります。そしてその廻りの木陰の下にベンチが置いてあります。心地よい木陰なので人は座ります。もしかすると、その時にたまたま木陰の下で礼拝があるかもしれません。そのベンチの人は、その礼拝を別に聞こうとしていなくても、耳に届いているかもしれません。もしかすると、その時の自分の心の状態によっては、何らかの触れ合いが生まれるかもしれません。そして神への興味を持つかもしれない。この礼拝空間と木陰のベンチとの間接的な関係が、人が初めて神と出会う、ちょうどよい距離感のように思えました。 コンセプト:寄り添う 同志社大学に限らず、クリスチャン系の大学であっても、学生のほとんどはクリスチャンではないのではないでしょうか。キャンパス内に教会を作ったからといって、学生は教会には行かないだろうし、キャンパスの象徴性というだけではもったいない。やはり、学生に何らかの形で、キリスト教に興味を持つ機会を作らなければならないと思います。でもクリスチャンでない普通の学生が、教会の正面から礼拝に行くでしょうか? そうではなく、もっと間接的に、あまり意識せずに、教会と触れる機会をもつことができないだろうか。そのヒントが青空チャペルと間接的な関係にある木陰の「ベンチ空間」にあると私たちは考えました。あまり直接的過ぎず、しかしいつもそこにいる、「寄り添うような空間」です。 私たちの案は、礼拝堂の2階レベルに公園的な木陰の「ベンチ空間」を置いた外部空間を作り、そこから間接的に礼拝堂の「様子を感じる」ことができるように考えました。 そのベンチ空間はキャンパスの緑豊かな屋外空間の中にあるので、静かに読書したり、友達と集まる場所として使われるでしょう。そこで、礼拝が行われていれば、BGM的に礼拝堂の声が聞こえてくるでしょう。普段は、ベンチ空間に座っている人には、届いているようで届いていない声も、もしかしたら、日常の感情の起伏の中で、聞こえていなかった声が聞こえるかもしれません。それが、教会に向かう最初の一歩となるかもしれません。こういう正面からでない、寄り添うような間接的な関係こそ、大学付属の教会には合っているのではないかと考えました。 上部開口部が屋外「ベンチ空間」
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